4月1日、セネガル第2の都市ティエスにて現地語学訓練と共にセネガル人家庭でのホームステイがはじまった。僕を迎えてくれたのは、敬虔なイスラム教徒で、人口の15%をしめるセレール族の一家だ。家につくと、居間でお父さんNgoranneが僕にセネガルネームをつけてくれた。
『今日から、お前はNgor だよ。』Ngorという名前はセレール族の男性を象徴するような名であるらしく、町中で通りすがりの人に名前を聞かれたりする(セネガルでは日常茶飯事だ。)と、『あら、セレール族なのね!』とみんなが大喜びする。
僕の家族Ngom 家は、先生一家である。お父さんNgoranneは小学校の校長先生。お母さんYacine Fayeは主婦をしながら女性グループで会計係を務めている。長男Ngor(なぜか僕と同じ名前)はphilosophyの先生。Astoという奇麗なお嫁さんと2ヶ月の赤ちゃんYacine(お母さんと同じ名前)と一緒に両親と暮らしている。次男Lanineはスペイン語の先生。三男Khadimは小学校の先生。2人はとなり街のバンベイという街で仕事をして、週末になると家に帰ってくる。四男Salionは現在ダカールの大学生。彼もphilosophyを専攻していて、先生になるらしい。長女Mberyは既に結婚し、近所で公務員の旦那さんと暮らしている。彼女もフランス語の先生だ。次女Saliは高校生。そして、一番下の3女Noudjeは中学生だ。とにかく子だくさんのセネガル一家だ。
子だくさんの上に、他いろんな人が家を訪れ、ほぼ自由に出入りをする。彼らは親戚であったり、父の友人の子供であったり、近所の人であったり様々だ。僕もまだ上手くセネガル人の顔を識別べきない上に、毎日だれか一人は知らない人が家にいるこの状況。道ばたで声をかけられたりすると、え〜っと誰だっけ?となってしまうわけである。
週末になると、兄が友人を連れて家に帰ってくる。夜になると兄のベッドでは大人の男3、4人が一緒に寝る始末。僕が部屋を一人で占領している横で、そんなことになってしまうと、すごく申し訳なくなってしまう。
セネガルでは家族が多くなればなるほど、生活は楽になると考えられている。僕の家庭ではそれがかなり上手くいっている例を言えるだろう。職のある兄弟は毎月家に給料をいれているし、お母さんと長男のお嫁さんが家事を分担している。誰かが病気になると、兄弟が薬を買って集まってくる。社会保障が充実していないセネガル社会で、家族は強力な依存先といえるだろう。
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