セネガルの人口の15%を占めるセレール族。しかし、その言語は多種多様である。セレール・シン、カメ、サーフェ、ノン、ルット、パロル...。セレール・シンとセレール・カメはなんとかコミュニケーションできても、セレール・シンとセレール・サーフェでは『ありがとう』という単語すら違うのだ。(セレール・シンではJokonjal” 。サーフェではCorka” 。)それほど地域性の強い言語であるセレール語。僕がティエスで1ヶ月間学んだのは、その中でマジョリティを占めるセレール・シンだ。
しかし、セレール・シンとひとくくりにされている言語の中にも、地域によって、村々によって微妙に発音が違うのだ。例えば、語学学校アデシナで教わったXaye(今日)という単語が、家の中ではXameという発音に変わったり、フィムラに行くとお昼の挨拶(ñaloopoo こんにちわ)が全く異なった言葉で話されていたりするのだ。そのような違いは、ステイ先の長男に言わせると、『フランスとベルギーのフランス語が違うように、村々で少しちがう』とのことであるが、あまりの多様性に当初僕自身は混乱してしまった。
そのような地域多様性も、今となると、とても興味深く感じる。司馬遼太郎の小説などを読むと、日本でも幕末時代、地方から集まった武士が方言と方言で話をすると、ほとんどコミュニケーションができないということがあったそうだ。現代では、そのような状況になることはほぼないだろう。というのは、テレビを通し我々は標準語を学ぶからである。標準という強い力がテレビを通し、我々の地域独自性を中心に引き寄せ、独自性を失われているのかもしれない。
セレール語の場合、そのような地域の独自性がまだ保たれている(?)。というのは、ウォルフ語のように、テレビ番組で使用されることもない(ラジオ番組はあると聞いたが定かではない。)からだ。セネガル社会では共通言語がウォルフ語やフランス語であるが故に、セレール語の標準語が形成されずに、セレール語の地域多様性が保たれている現状があるように思うのだ。
こんな言語と僕は2年間付きっていくのです。
2 件のコメント:
ちゃお!っていうか、読む気がしないのはボクだけか・・・?
場かばかばkばかばばかばあぁぁぁl!!!カメラとマイクかってきたのにぃぃぃぃ!!早くサクセスしてくりゃれ~~~~!!!
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