「奴隷」というと西洋諸国がアフリカ植民地化の過程で奪った捕虜をアメリカ大陸に売り飛ばしていた、と勝手に思い込んでいたが、実際はアフリカの王国間の戦争で捕虜になった者達がヨーロッパ人に売られていた、ということにまずびっくり。しかし、その理由、(つまりアフリカ人が同胞をヨーロッパに売っているという理由)でヨーロッパ内におけて奴隷交易が正当化されていたのである。しかし奴隷交易が最も盛んだった18世紀半ば、アフリカにおける王国間の戦争が激化したのは、多くの富を持つヨーロッパ人に奴隷を売るためであった。買う方も売る方も、人間の欲というものは恐ろしいですね。
「奴隷」という言葉には常に悲惨なイメージがつきまとう。確かに、プランテーションに送られた奴隷の労働環境はひどいものがあった。しかし、アフリカにおける奴隷はプランテーションに送られた奴隷とは全く意味の異なるものであったらしい。王国間の戦争でとらえられた奴隷は、主人の元で食事の賄を受けながら、主人とともに食事をとることも珍しくなかった。自分のために使える時間もかなりあり、その時間を使って富を蓄え、奴隷が奴隷をもつというケースもあった。食事は主人が賄い、労働は自分の奴隷がするということになると、何もしなくても生きていける、極楽のような日々。うらやましいです。やがて子供を生むと、その子も奴隷となるが、2代目以降の奴隷はさらに権限がアップする。主人は勝手に2代目以降の奴隷を売ってはならない、とか、とにかく「家族の一員」に近い存在になる。ただ、奴隷が死ぬとその財産の全ては主人のものになるという奴隷としてどうしようもない点はあったようだ。
奴隷取引が禁止されたのはイギリスで1833年、フランスで1848年。ヨーロッパで奴隷廃止論も18世紀後半から盛んになっていたが、実際に奴隷が廃止されたのは、イギリスで起こった産業革命が働き手としての奴隷を不要にしていった、という背景がある。奴隷廃止論も、アフリカ系人ロドネーによると、「計算された偽善」ということだ。結局、奴隷を廃止させたのは蒸気機関を発明したワット(だっけ?)達、発明家のみなさんだったわけだ。自由だの平等だの声高に叫んだところで何も変わらないものなのですかね。
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