コリテ(ラマダンあけの祭り)から69日後の12月9日、イスラム教徒最大の祭りであるタバスキが行われた。ちなみにコリテがアラビア語で小祭(イード・ル・フィトル)というのに対して、タバスキは大祭(イード・ル・アドハー)という。
タバスキは犠牲祭とも呼ばれ、みなが雄羊を食べて祝う。「予言者イブラヒムがアッラーに命じられて、自分の愛息イスマイールを生け贄に捧げようとしたとき、アッラーがその揺るぎない信仰心を確信し、息子と雄羊を取り替えたことに由来する」らしい。旧約聖書でアブラハム(ユダヤ族の伝説的祖先)がその息子イサクを生け贄に捧げる話にそっくり。どちらも「信仰心は大切です」と言っているような逸話であるが、日本人的にはあまりよく理解できない。
タバスキの1週間も前になると、「羊を買いたいからお金を貸してくれ」とか「羊を買いにいってるから今日は村にいない」とか、いささか社会が羊を中心に回転するようになる。ちなみにこの時期、雄羊が通常時より高く売れる。通常の大きさで4万~5万F(日本円で1万円ほど)
そして、タバスキ当日。9時に村のモスケでお祈りを住ませた後、11時ぐらいから羊の解体が始まる。男達があつまり羊の足を抑える。そして一人が喉を切り裂く。血が地面に流れ落ちる。他の羊がおびえたような目で見ているのは気のせいか。しかし、この日世界中で何頭の羊が犠牲になったのだろうか?単純に見積もったとして、10億人のイスラム教徒が10人で一頭の羊を分けるとする。1億頭。うむ、多大なる犠牲である。それでも血は流されなければならないのだ。
人々は挨拶回りに村を歩く。互いに「良い年でありますように」と日本のお正月のように挨拶を交わすのだ(正月は正月で、西暦の正月とイスラム正月があるのだが。)。子供達もかわいらしく着飾り、「サルボー、サルボー」といって小銭を求めて村を回る。
「分かち合い」がセネガル文化の基本。さばいた羊も近所や貧しい人々と分かち合う。僕が村を歩いても皆に「食べていけ」と言われる。断るに断れず殺人的に食わされる羽目になる。案の定夕方には食べ過ぎで腹痛に襲われた....。それでもタバスキは終わらない。お手伝いのマリアトが料理を持ってきてくれる。電話がかかってきたと思ったら、料理を取りにこいとゴルギー(同任地の隊員のガルディアン)。翌日になってもそれは続く。隣のおじさんが昼食を誘いに家にまでくる。もう羊肉はいっぱいいっぱい。と思いつつも、この週いっぱいは羊肉がつづいたのでした。
3 件のコメント:
写真全部、テレビならモザイクやね。
旨いの?てか、ジンギスカンか。
こりゃまた大変な祭りだすなぁ。
っていうか生きとったんやな~
森本レオです。
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